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  1. 『篤姫』関連 大奥関係女中リスト(5)
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楫取美和子

 投稿者:高岡 勲  投稿日:2015年 7月18日(土)08時52分2秒
返信・引用
  楫取美和子の俳句名(俳句号)がわかればお教えねがいます。

http://bpsrq712@yahoo.co.jp

 
 

暫定 『花燃ゆ』予習用 杉文(楫取美和子)年表

 投稿者:のよりん  投稿日:2013年12月 5日(木)17時15分27秒
返信・引用 編集済
  杉文(楫取美和子)の現在わかる範囲での年譜

年齢はすべてかぞえ年

1842(天保13) 文(1)
杉文、杉百合之助(39)・児玉たき(37)の四女として生まれる
家族構成は父・母・祖母(64)・兄二人(梅太郎(15)・寅次郎(13 吉田家を継いでいた))・姉三人(千代(11)・寿(5)・艶(2))・叔父玉木文之進(33)とその妻辰子(22)その子・彦助(2)が同居
叔父・玉木文之進が松下村塾を開塾

1843(天保14) 文(2)
文のすぐ上の姉・艶夭折(3)
祖母岸田氏死去(65)

1845(弘化2) 文(4)
弟・敏三郎生まれる 生まれつきの聾唖
※文の誕生をこの年3月1日とする説(平成新修旧華族家系大成 上巻)があるが敏三郎の誕生と勘案すると誤伝か?

1847(弘化4) 文(6)
このころ千代(16)と児玉祐之(27)結婚

1850(嘉永3) 文(9)
寅次郎(21)、九州・江戸遊学 佐久間象山(39)に入門

1852(嘉永5) 文(11)
寅次郎(23)脱藩し東北遊学

1853(嘉永6) 文(12)
ペリー来航
梅太郎(26)とカメ(?)に豊子誕生
寿(16)と小田村伊之助(25)結婚

1854(嘉永7・安政元年) 文(13)
ペリー再来
寅次郎、渡米に失敗し入牢 萩に護送される
千代子(24)と祐之(34)に長男萬吉誕生

1855(安政2) 文(14)
寅次郎(25)、獄より出され杉家に幽閉

1857(安政4) 文(16)
寅次郎(27)、叔父・玉木文之進(48)から松下村塾を継ぐ
百合之助、梅太郎が門人一号となる
久坂玄瑞(18)が松陰に入門
国司六郎右衛門死去、未亡人(岸田氏妹)が舅と一子を連れ杉家に同居する
12月 久坂玄瑞と文が結婚
※文の結婚については松陰と親交のあった月性が当初桂小五郎の妻にと推した
※文と高杉晋作との縁談もあったとする説がある
※玄瑞との結婚を勧めたのは松陰門下の中谷正亮

1858(安政5) 文(17)
寅次郎(29)老中暗殺を企て再入牢
玄瑞(19)江戸に遊学
伊之助と寿の子・粂次郎誕生 のちに久坂家の養子になる
梅太郎(31)とカメ(?)に長男小太郎誕生(のち松陰の家を継ぐ)

1859(安政6) 文(18)
寅次郎、江戸に送られ斬刑(30)
百合之助(56)、文之進(50)ら連座し罷免

1861(万延2・文久元)文(20)
久坂(22)ら元塾生が中心になり松陰の遺志を継ぐ一灯銭申合を結成

1862(文久2) 文(21)
久坂(23)上京
久坂江戸へ下り英国公使館を焼打ち

1863(文久3) 文(22)
松蔭の遺体、弟子たちによって世田谷に改葬される
梅太郎(35)の長男小太郎(6)吉田氏を継ぐ
5月 下関戦争
八月十八日の政変で長州藩は京から撤退
※萩藩菊ヶ浜に女台場設置

1864(文久4・元治元) 文(21)
禁門の変 久坂玄瑞自害(25)
養子粂次郎(7)久坂家を相続
久坂玄瑞の京都妻が秀次郎を生む
※秀次郎の母については従来佐々木ひろ説が有力だったが、後年子孫が井筒タツ説を自称

1865(元治2・慶応元) 文(24)
3月 杉百合之助隠居(62) 10月 死去
絵堂の戦いで文之進(56)の嫡男玉木彦助戦死(25)
乃木希典(17)の弟・正誼(13)が文之進の養子となる
毛利元徳(28)の世子・興丸(のちの毛利元昭)誕生。文、世子の守役となる これ以前に文は毛利元徳夫人安子(15)に出仕(※美和の名はこのときの候名に由来か?)

1866(慶応2) 文(25)
第二次長州征伐

1867(慶応3) 文(26)
千代(36)・児玉祐之(47)に庫三誕生(のちに吉田家を継ぐ)
4月 高杉晋作死去、同居の野村望東尼を小田村伊之助(39)が引き取る
9月 小田村伊之助楫取素彦に改名
11月 野村望東尼死去

1869(明治2) 文(28)
玉木文之進(60)松下村塾を再開
文之進の妻辰子死去(49)
秀次郎(6)が久坂玄瑞遺児を名乗り出る
杉梅太郎(42)、民治と改名

このころ文之進、馬来駒子と再婚

1872(明治5) 文(31)
楫取素彦足柄県参事を拝命し小田原着任
吉田寅次郎の義母久満死去(61)
吉田小太郎(15)、東京へ遊学。父・杉民治(45)も同行
12月 民治の妻カメ(?)死去
※この年、前年に施行された戸籍法により戸籍が編製され夫婦同姓になる(壬申戸籍)これにより、杉文から久坂文となる?あるいはこの時点で久坂美和?
※10月11日付の楫取素彦から杉民治あて書簡に「美和」とあり
http://ameblo.jp/bluebard94/entry-11735621786.html
※後年の伝記では「久坂文子」の通称が使用されているがこの名称を本人が使ったかどうかは疑問

1874(明治7) 文(33)
楫取素彦熊谷県参事を拝命し着任
※着任場所は川越?

1875(明治8) 文(34)
児玉祐之死去(55)
千代(44)、杉家に戻り芳子と改名か?
※「美和」の名は毛利家世子の守役を務めていたときの候名にちなむか?初出はこの年(推定)の楫取素彦から杉民治宛て書簡の「三和」
http://ameblo.jp/bluebard94/entry-11731909296.html

1876(明治9) 文(35)
群馬県が設置され楫取素彦(48)初代群馬県令に着任
萩の乱 玉木文之進の養子正誼(24)、文の兄・民治(49)の長男・吉田小太郎(19)が反乱軍に参加し戦死
玉木文之進、萩の乱に塾生が多く参加した責任を取って切腹(67)、芳子(45)が介錯をする
杉敏三郎死去(32)

1877(明治10) 文(35)
玉木正誼の未亡人豊子(25)が正之を生む

1879(明治12) 文(38)
秀次郎(16)が正式に久坂家を継ぎ、道明(22 粂次郎改名)は楫取家に戻る

1880(明治13) 文(39)
杉民治(53)、松下村塾を再興する

1881(明治14) 文(40)
楫取寿子病没(44)。寿子病没前に文は楫取家に同居している

1882(明治15) 文(41)
児玉萬吉死去(29)

1883(明治16) 文→美和子(42)
文、母の滝子(78)のすすめにより楫取素彦(55)と再婚 正式に(戸籍上?)美和子と改名
※この時に美和子としたとするのは「久坂玄瑞の妻 涙袖帖」か?要確認。

1884(明治17) 美和子(43)
楫取素彦(56)元老院議官となり東京着任

1887(明治20) 美和子(46)
楫取素彦(59)男爵となり華族の列に入る
毛利安子死去(36)

1889(明治22) 美和子(48)
玉木正之(13)上京し叔父・乃木希典(41)邸に下宿

1890(明治23) 美和子(49)
美和子の母滝子没(85)
元老院廃止、楫取素彦(62)錦鶏間祗候に任じられる

1892(明治25) 美和子(52)
松下村塾廃塾
楫取素彦と美和子、華浦幼稚園(のちの鞠生幼稚園)設立にかかわる

1894(明治27) 美和子(53)
故野村望東尼に贈正五位の宣下、墓を新築し楫取素彦(66)が祭主となり落成式兼追祭を執行

1895(明治28) 美和子(54)
台湾割譲により日本の植民地となった台湾に素彦(67)の息子楫取道明(38)が教師として赴任
玉木文之進の未亡人駒子死去(67)

1896(明治29) 美和子(55)
楫取道明(39)芝山巌事件の犠牲者となる
毛利元徳死去(58)

1897(明治30) 美和子(56)
7月10日 楫取素彦(69)貴族院議員(男爵議員)に選ばれる
楫取素彦、明治天皇第十皇女貞宮多喜子内親王の御養育主任に任じられる
美和子も貞宮に御付となる
※この時に女官名を授かっているか?

1898(明治32) 美和子(57)
楫取素彦、防府町三田尻岡村に屋敷を建てる

1899(明治32) 美和子(58)
貞宮多喜子内親王死去(3)

1902(明治35) 美和子(61)
楫取素彦(74)、三田尻で行われた菅公一千年式年大祭で総裁となる

1904(明治37) 美和子(63)
7月10日 楫取素彦(76)貴族院議員(男爵議員 二期目)に選ばれる
乃木希典(56)の息子・勝典(26)、保典(24)、日露戦争で戦死

1908(明治41) 美和子(67)
雑誌「日本及日本人」記者・松宮丹畝(松宮春一郎 34)が芳子(77)を取材する
http://www.yoshida-shoin.com/shiryo/kazoku.html

1910(明治43) 美和子(69)
美和子の兄・杉民治死去(83)

1911(明治44) 美和子(71)
7月10日 楫取素彦(83)貴族院議員(男爵議員 二期目)退任

1912(明治45・大正元) 美和子(71)
明治天皇崩御 乃木希典(64)・静子(54)夫妻殉死
楫取素彦死去(84)防府町桑山大楽寺に葬られる 男爵家は道明の子三郎が相続

1913(大正2) 美和子(71)
1月 姉児玉芳子(82)兄松陰の証言を残す 「家庭の人吉田松陰」

1921(大正10)
楫取美和子死去(80)
この時点で美和子の親族での年長者は姉の芳子(90)のみ。看取ったか?
美和子、防府町桑山大楽寺に葬られる

適宜追加修正

※調査課題
企画書にある文が毛利元昭(1865~1938)の守役をやめたのはいつ?史料は?
杉家に寄宿していた松陰祖母岸田氏の妹(辰子母)はいつ亡くなったか?
杉民治の再婚、および子供たちのその後はどうなっているのか?
楫取道明の学歴と職歴と配偶者

杉文・楫取美和子・久坂文子の伝記が掲載または関連書籍情報
小野島法幢『婦人の鏡 杉滝子実伝』(顕道書院 1892)
『妙好人楫取希子の伝 並に其遺言書』(高崎修養会 1913)
『日本史籍協會叢書 楫取家文書』(日本史籍協會 1931)
『吉田松陰全集 第10巻』(岩波書店 1936)
廣瀬敏子『松陰先生にゆかり深き婦人』(武蔵野書院 1936)
福本義亮『吉田松陰の母』(誠文堂新光社 1941)
田郷虎雄『久坂玄瑞の妻 涙袖帖』(翼賛出版協會 1943)
廣瀬敏子『日本婦人の道』(目黒書店 1945)
木俣秋水『吉田松陰をめぐる女性たち』(大和書房 1980)
『日本史籍協會叢書 楫取家文書 復刊』(東京大学出版会 1984)
韮塚一三郎『関東を拓く二人の賢者 楫取素彦と小野島行薫』(さきたま出版会 1987)
古川薫『ある日の松下村塾 玄瑞のお嫁さん』(別冊歴史読本 吉田松陰と松下村塾の青春 1989所収)
『男爵楫取素彦の生涯』(毛利報公会 2012)
『物語 幕末を生きた女101人』(新人物文庫 2013)
『楫取素彦読本』(楫取素彦顕彰会 2013)


改定・修正はmixi日記で適宜行います
2013.12.29改定追加

http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=620485&id=1917292009

 

卯松丸(宗綱)

 投稿者:ヨシアキ  投稿日:2007年 9月30日(日)00時44分4秒
返信・引用
  卯松丸(宗綱)の配役は、高沼薫らしいです。
ネタ元URLを下に記載しておきます。

http://www008.upp.so-net.ne.jp/tomeas/date1.htm

 

和賀忠親の娘

 投稿者:ヨシアキ  投稿日:2007年 9月14日(金)20時57分24秒
返信・引用
  はじめまして。配役表の充実振り、すごいですね。
「独眼竜政宗」の配役表ですが、間違いを見つけました。

柳(和賀忠親の妻)/守屋利恵

となっていますが、正しくは「妻」ではなく、「娘」です。劇中でも妻は他界したと語られています。
 

(無題)

 投稿者:最上  投稿日:2005年 6月24日(金)22時19分25秒
返信・引用
  87年の伊達政宗に最上の重臣氏家守棟がいません、俳優は忘れましたが何年か前にやって年末特番の総集編に出ました。  

義経と弁慶が又従兄弟という関係の系図

 投稿者:のよりん  投稿日:2005年 6月 2日(木)15時35分42秒
返信・引用 編集済
  ┌源為義─源義朝───源義経

└女子
 ┠───寂照坊長真┬長意
 ┃        └武蔵坊弁慶
┌教真
└湛快─┬湛増
    └女子
     ┃
    平忠度

http://www.geocities.jp/haiyaku_houten/index.html

 

紀伊国屋文左衛門の出自

 投稿者:のよりん  投稿日:2004年 6月24日(木)11時22分15秒
返信・引用
  平家の武士五十嵐小文治の子孫。五十嵐氏。

文左衛門の子、千江、千泉が俳画に別所姓と記している。

文左衛門の次男が養子に出て、実家を武藤氏を記す。

紀州熊浦の文三の子文七が後の文左衛門。
「名誉長者鑑」

和歌浦の玉津島の神官藤波河内が由緒はあるが貧乏である文平を婿にとる。
文平の後身が文左衛門。
細川風谷「紀文長者」
 

石川六兵衛のこと

 投稿者:のよりん  投稿日:2004年 6月24日(木)10時38分31秒
返信・引用
  江戸の富豪石川六兵衛の妻、京に上り難波屋十兵衛の妻と衣装比べをする(元禄頃)
難波屋の妻は緋繻子に洛中の風景を刺繍した小袖を来ていた。六兵衛の妻は黒羽二重に南天燭の模様のある小袖を着ていた。
これを見た京の人々は難波屋の妻のほうが勝っていると思ったが、よく見ると六兵衛妻の南天燭の実は一つ一つ珊瑚珠を縫い付けてあったので、その豪奢ぶりに京の町の人は驚いたという。

天和元(1681)年五月。江戸浅草黒船町(小舟町とも)の石川六兵衛の妻子は、下谷広小路の知人の店頭を借りて、黄金のすだれを架け渡した中に衣装を飾り、将軍の上野参詣の行列を見た。
町人らしからぬ振る舞いということで家は闕所になったという。

年代的に衣装比べはこの後の事のようですね。

宝永年中、江戸大伝馬町丸屋の主人がその家で伽羅の名香をたいていたところ、偶然将軍一行がこの店の前を通りかかり、香をききとがめ豪奢を糾問して家人を遠流にした。
丸屋は「沖に見ゆるは丸屋の船か、丸にやの字の帆が見ゆる」とうたわれた豪商。
この事件を石川六兵衛のこととする誤伝もある。
 

横山喜内=蒲生郷舎

 投稿者:のよりん  投稿日:2004年 3月15日(月)03時32分48秒
返信・引用
  この説が流布したのは司馬遼太郎「関ヶ原」から。
ということは『葵』は人物構成にこの小説を使っているということである。

蒲生郷舎と横山喜内(蒲生頼郷)の詳伝
http://www5e.biglobe.ne.jp/~nikke/ishidakasindank.html


 

長沢松平家系図

 投稿者:のよりん  投稿日:2004年 3月15日(月)03時04分3秒
返信・引用
  http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/koutai/nagasawa.htm

ほかに諏訪忠輝会『松平忠輝』を出典とする次の系図あり

      松平忠輝
        ┠─┬九太夫─女子
伊藤弥次右衛門―次女└女子
           ┠昌興─女子
      松平忠直─直信  ┠某─女子
               某  ┠親芳─忠敏
                松平親応
昌興妻は正式の系図では松平重忠女または鈴木太郎大夫養女とされる。
忠輝女子が昌興母であることについては『松平忠輝』以外に傍証がない。
 

石井清春

 投稿者:のよりん  投稿日:2004年 2月 8日(日)14時53分12秒
返信・引用
  子孫の方の指摘により『元禄繚乱』に又左衛門が判明。
父 石井又左衛門清信
第五代目家老
子に清長
家紋 三つ鱗
 

鶴見家系図

 投稿者:のよりん  投稿日:2004年 1月16日(金)14時01分52秒
返信・引用
  ごさんべえさんのページがリンク切れなので参考にキャッシュをとっておきます。

旗本水谷氏備中布賀知行所代官鶴見家略系

・――権弥良直――+――重之丞良房――+――玉之助
   元禄7   |  元禄10   |
         |         +==定右衛門良喬――定右衛門良峯――+――嶋吉良政
         +――女         小野重正男   文化13    |
            小野重正妻     明和4             +――定右衛門良顕――+
                                         弘化2     |
                                                 |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――友作良輔――良憲――祐輔――俊輔
   明治15

以下補足
権弥良直は水谷家最後の家老鶴見内蔵助と同時代人で、おそらく弟か子供、あるいは極めて近い親族。関係は不明。
当時の分限表 鶴見内蔵助1000石、同孫助100石、同孫平次100石、同惣右衛門150石、同権弥100石、同金弥120石
鶴見内蔵助は実名が伝わらず、内蔵助の三代目ということのみわかっている。松山開城のおりの記録にも出てこない。正確には鶴見祐輔と鶴見内蔵助を確実に繋ぐ史料はない。
 

柳生厳勝の妻ほか

 投稿者:のよりん  投稿日:2003年 9月17日(水)10時34分22秒
返信・引用
  「定本大和柳生一族」にほんのすこしだけ記述。
伊賀国の仁木氏の娘。

青木丹左衛門のモデル
青木与右衛門休心か青木条右衛門金家
赤壁八十馬のモデル
赤壁屋道斎とその子道意
これらは、辻風と同じで名前だけモデルにして新しい人物像にした模様。
 

久斎と徳斎

 投稿者:のよりん  投稿日:2003年 9月12日(金)14時53分34秒
返信・引用
  久斎
柳生石舟斎次男。
母は春桃御前(奥原遠江守の娘)
幼児より僧籍に入り瑞雲寺住職となる。
慶長10(1610)年3月25日寂。
法名 花岳桃公知蔵禅師
墓地 大和国柳生芳徳寺

徳斎
石舟斎三男。母は春桃御前(奥原遠江守の娘)
僧籍に入り龍蔵院住職となる。
寛永元年(1624)7月25日寂。
法名 籌庵玄良居士
墓地 大和国柳生芳徳寺

おりん
柳生宗矩夫人。父は松下石見守重綱。
元和4年9月24日死去
法名 桂徳院露生柱禅定尼

柳生巌勝の妻についての記載なし

「定本大和柳生一族」今村嘉雄著より
 

石井又右衛門考

 投稿者:のよりん  投稿日:2003年 9月10日(水)15時18分38秒
返信・引用
  『元禄繚乱』登場人物

石井忠俊
石井四男家の内蔵助正澄の子。又右衛門を称する。
如自、嘲鴎子と称す。
二代藩主鍋島光茂に仕え,御歌書役をつとめた。歌道や俳句に造詣が深く、西山宗因に師事し井原西鶴とは同じ宗因の門下生。

年代的にはこの人物にあたるか?
 

ふたり近松

 投稿者:のよりん  投稿日:2003年 8月28日(木)19時04分22秒
返信・引用
  近松門左衛門の出生地は越前説で定着している感が強いが、長門萩説も根強い模様。
こちらではキリシタンとのかかわりもふかくかかわっている。
まるで二人の近松がいるようである。

小女「おかじ」
娘説、はどこから採録したものか?
墓碑に刻まれている女性のことか?
一説には妻であると定着しているようであるが関係は不明。
 

ふたり六兵衛

 投稿者:のよりん  投稿日:2003年 8月28日(木)09時53分16秒
返信・引用
  岩間六兵衛正成
武田信玄の子・信清の子。武田氏滅亡後、塩谷監物の養子。
父監物が小笠原秀政に仕官し、六兵衛はその子忠真に仕え岩間氏を名乗る。
忠真はのちに宮本伊織が仕えた大名。
秀政の娘の千代姫が徳川秀忠の養女として細川忠利に嫁いだとき、六兵衛はその付き人として細川家に仕え、江戸詰二百石合力米百石。
武田信玄の孫で、秀忠寄りというこの背景が描かれてなければ、今回の『武蔵』での立場はわからないのではないか?

石川六兵衛
上野黒門町に店を構えた江戸の豪商。
子孫は京都の豪商難波屋十左衛門と贅沢を競い、徳川綱吉にとがめられ遠島になる。
この六兵衛の妻と難波屋の妻の衣装比べは『元禄繚乱』で描かれている。
ただし名前は変えてますが・・・
 

児島備前考

 投稿者:のよりん  投稿日:2003年 8月27日(水)17時10分20秒
返信・引用
  『武蔵』登場人物の児島備前はまったくの創作人物だが、児島で備前出身といえば児島高徳である。
だが児島時氏は備後守が通官。
名づけのヒントにこのあたりありか?

なお、岩間角兵衛のモデルは江戸詰熊本藩士岩間六兵衛正成のようである。
この人は武田信玄の孫にあたる。
 

進藤家と桂昌院の関係

 投稿者:のよりん  投稿日:2003年 8月 5日(火)15時38分48秒
返信・引用
  こういう関係もある。こっちの方が忠臣蔵ものの裏設定としては面白い。

    大石良勝─┬良欽─良昭─内蔵助良雄
         └女子
          ┃
進藤長治─┬長滋──長定
     └宗賀
      ┠───新五郎(徳川徳松家臣 元禄三年自害)
本庄宗利─┬瑞光院 
     └桂昌院
      ┠───綱吉
     徳川家光
 

大石内蔵助と吉良家の関係系図

 投稿者:のよりん  投稿日:2003年 7月 5日(土)16時16分36秒
返信・引用
  大石良勝─┬良欽─良昭─内蔵助良雄
     └女子
      ┃
進藤長滋──長定┬長房
        ├宣盛 斎藤俊盛養子 斎藤家を継ぐ
        └盛信 斎藤昌盛養子
         上記三人の母不明・大石良勝娘の所生か?

斎藤重隆─昌盛┬本盛┬俊盛━宣盛─盛章
       │  └お千
       │   ┠──富子
       │ 上杉定勝 ┠──上杉綱憲
       │     吉良義央
       ┝盛信─利信

吉良家家老の斎藤宮内はこの斎藤氏の一族ではないのか?
そうすれば、大石家と吉良家の近い関係を知っていたはずだが?
 

“独眼竜政宗”第二十四回「天下人」タイトルロール

 投稿者:ガイラ  投稿日:2003年 5月15日(木)22時31分40秒
返信・引用
  “独眼竜政宗”第二十四回「天下人」タイトルロール
脚本 ジェームス三木
原作 山岡荘八「伊達政宗」
音楽 池辺晋一郎
演奏 東京コンサーツ
テーマ音楽演奏 NHK交響楽団
テーマ音楽指揮 岩城宏之
監修 伊達泰宗
時代考証 鈴木敬三
風俗考証 磯目篤郎
殺陣 林邦史郎
タイトル刻字 長 揚石
衣装考証 小泉清子
出 演
伊達政宗 渡辺 謙
伊達成実 三浦友和
片倉小十郎 西郷輝彦
喜多 竹下景子
愛姫 桜田淳子
大内定綱 寺田 農
鈴木重信 平田満
山家国頼 大和田伸也
留守政景 長塚京三
小梁川泥蟠斎 福田豊土
猪苗代盛国 早川雄三
伊達小次郎 岡本健一
鬼庭綱元 村田雄浩
原田左馬助 鷲生功
石田三成 奥田瑛二
淀君 樋口可南子
羽柴秀次 陣内孝則
浅野長政 林与一
前田利家 大木実
蒲生氏郷 寺泉憲
前田玄以 湯浅実
施薬院全宗 唐沢民賢
稲葉是常坊 石橋雅史
語り 葛西聖司アナウンサー
茶道指導 渡辺潤
最上義光 原田芳雄
猫御前 秋吉久美子
徳川家康 津川雅彦
豊臣秀吉 勝新太郎
制作 中村克史
美術 藤井俊樹
技術 横山隆一
効果 浜口淳二
撮影 後藤忠
照明 小野寺正義
音声 山崎彰
記録編集 那須正尚
演出 吉村芳之
 

忘れないうちに

 投稿者:  投稿日:2003年 3月28日(金)14時28分39秒
返信・引用
  資料引用または無断リンク先リスト
将来提携を打診

http://members.tripod.co.jp/hneck/TVtaiga.htm
http://lovelovedog.cool.ne.jp/memonifty/memo200206.html
http://a.hatena.ne.jp/esto/?gid=910
http://www.elrosa.com/tisen/51/511500.html
 

天和三年の勅使めも

 投稿者:のよりん  投稿日:2003年 3月25日(火)14時37分27秒
返信・引用
  勅使 花山院定誠
   千種有能
本院使 鷲尾隆尹
新院使 今城定淳

よって元禄繚乱の場面による三人の勅使院使のシーンは間違い
 

調査的課題めも

 投稿者:のよりん  投稿日:2003年 3月25日(火)14時26分35秒
返信・引用
  『宮本武蔵』に登場する吉野太夫は初代か二代目か。
大河の場合、禿の“りん弥”は二代目の禿名のようである。
灰屋とのエピソードはかなり後年の話で、二代目のもの。
 

赤座→永原

 投稿者:管理人  投稿日:2003年 1月14日(火)03時19分55秒
返信・引用
  関ヶ原の戦いで西軍から東軍に寝返った4武将に赤座直保がいる。
戦後どういうわけか家康に功績を認めてもらえず、所領を没収された。
その後直保は前田利長に召し出され7000石という高禄で松任城の守将として仕えるが、1606年の越中大門川氾濫の際、検分に赴いて溺死した。
さてその跡を継いだ孝治は、幕府を憚って赤座から永原に改姓ししたのであるが、その子孫、加賀藩の永原氏といえば別の大河ドラマに登場してくるのである。

その作品は『徳川慶喜』
とはいえ、佐藤慶扮する永原帯刀ではない。
加賀にたどり着いた水戸天狗党の最後を看取った永原甚七郎(滝田裕介)である。
 

蒲生郷舎について

 投稿者:管理人  投稿日:2003年 1月14日(火)03時20分8秒
返信・引用
  『葵』の関ヶ原クライマックスシーンで華々しく散る石田家の家老蒲生郷舎(竜雷太)ではあるが、実はこれは別人が混同されている。

劇中、戦中に会った織田有楽斎に横山備中と呼ばれるが、横山備中守は蒲生郷成=蒲生真令であり、郷舎は別人である。
蒲生郷舎は蒲生家筆頭家老蒲生源左衛門郷成の弟で、元の姓は坂氏。織田信孝の生母の一族であろうか?兄と同じ経歴とすれば蒲生家に仕える前は柴田勝家の家臣であった。
一方、横山備中守は近江佐々木家(六角氏)の家臣で、九州征伐の功により氏郷から一字と姓を賜って蒲生喜内頼郷。氏郷の死語蒲生家を去り石田三成に仕え真令(読みは“さねのり”か?)と名を改めた。
同じころ蒲生家を辞した郷舎も三成に仕えている。
関ヶ原の戦いでは真令は討死。郷舎は生き延びて蒲生家に再び3000石で仕えている。
ところが世評では討ち死にしたのは郷舎ということになってしまったらしい。
実際の蒲生郷舎のその後は現在調査中である。
事典もいずれ記事を書き改める予定。
 

『厳流島 小次郎と武蔵』のある女性

 投稿者:のよりんメール  投稿日:2002年11月30日(土)17時50分59秒
返信・引用
  吉川英治の『宮本武蔵』では、老人に描かれる長岡佐渡だが史実では若き当主忠利に仕える青年重役。
この作品では大橋吾郎が演じているが、ストーリーに出て来たか忘れたがその妻は細川忠興の娘とされている。
その、女性“竜子”の出自だが、これが豊臣秀吉の側室「松の丸」の産んだ娘なのだそうな。

松の丸こと京極竜子はもともと若狭守護武田元明の正室。
元明の父武田義統は明智光秀の外祖父であり、本能寺後元明は光秀方として詰め腹を切らされてしまう。
その年に生まれたのが母と同名の「竜子」で、侍女の手により光秀娘が嫁いでいた細川家にあずけられたというわけ。

さて、武蔵の厳流島の決闘にたいしては九州の大族佐々木氏の勢力をそぐための細川家による決闘に名を借りた上位討ちであったという説が出されている。
『厳流島 小次郎と武蔵』はそれに近い説で書かれているのだが、このあたり今回の大河ではおそらく描かれないのだろうなあ。
 

安達義景の妻

 投稿者:のよりんメール  投稿日:2002年11月27日(水)14時03分0秒
返信・引用
  『北条時宗』に登場した安達義景の妻はどちらか?
正室 城尼 藤原雅経の娘
側室 小笠原時長の娘
側室 北条時房の娘

朗子という諱をもっているので参議の藤原雅経の娘とみてよいかとも思うが、泰盛の母ならば小笠原氏、原作だと北条時房の娘となる。
 

『太平記』

 投稿者:のよりんメール  投稿日:2002年11月27日(水)13時57分10秒
返信・引用
  北条高時の側室は五大院宗繁妹と安達時顕娘が知られている。
小田茜演じる顕子はその名から考えて安達時顕娘という設定と考えられる。
http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/people/japan/adati.html#tokiaki1333
 

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