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ブレインのイベントのご案内

 投稿者:小林治彦メール  投稿日:2007年11月30日(金)01時35分21秒 zaqd37c8463.zaq.ne.jp
  大変ご無沙汰しています。
今回はデニス・ブレインのイベントのご案内です。
突然の書き込み失礼いたします。

天才ホルン奏者デニス・ブレインが1957年9月1日に亡くなって今年で50年になります。
ホルン演奏を全世界で「芸術」に位置づけた偉大なホルン奏者デニス・ブレイン没後50年を偲ぶ会を催したいと思います。

2007年12月1日(土)
14:00~16:00
京都JEUGIA三条本店 6F イベントスペースJスクエア
入場無料

曲目;ボーエン作曲 ソナタ(1937年ブレインの為に作曲された。)
ヴィンター作曲 ハンターズ・ムーン(1942年作曲 ブレインが亡くなる前に幾度か演奏。)
ホルンアンサンブル;タイタニックファンタジー、タンホイザー序曲、エグモント序曲 他

展示;ピストン・ホルン(ブレインが初期に使用していた楽器と同タイプ)、上昇管ホルン(ブレインは上昇管を使っていました)、ナチュラル・ホルン(ブレインが映像でナチュラルの説明をしていました)、ウィンナ・ホルン、ハンティング・ホルン、フィレストプレス・ホルン、ポスト・ホルン、コーチ・ホルン、ソプラノ・ホルン、ダブル・ホルン、トリプル・ホルン 他多数

アマチュアによるホルンアンサンブルやナチュラルアンサンブル、プロのソロ演奏やブレインを偲ぶレクチャーもあります。
クラフカや初期のヤマハカスタム等大変珍しい楽器も展示してあります。
一回きりの企画です。
無料ですので、是非ご来場をお待ちしています。

お問い合わせ;
JEUGIA三条本店
075-254-3750
       関西デニス・ブレインを偲ぶ会
       dkbzf506@kyoto.zaq.ne.jp

主催;JEUGIA
   http://sanjo.jeugia.co.jp/index.php
企画;関西デニス・ブレインを偲ぶ会

http://open.sesames.jp/haruhiko/html/_TOP/

 
 

待望の真下3世誕生

 投稿者:辻 浩二メール  投稿日:2007年 2月 7日(水)00時43分17秒 hccd37ddfaa.bai.ne.jp
  先日よりお知らせしておりました、真下先生のお嬢さん山手敦子さんに1月22日にかわいい女の子が生まれました。お名前は果穂ちゃんです。2500グラムで生まれましたが、母子ともに元気だとのことです。そこで、真下家・山手家と調整をして、真下先生が亡くなられて20年、赤ちゃん誕生を記念してお祝いとともに駆けつけようと考えています。
また、追ってお知らせいたしますので、皆さんのこのメールへの書き込み待っています。
 

稲垣君久しぶりです

 投稿者:辻 浩二メール  投稿日:2006年11月21日(火)21時59分47秒 baidcd022de.bai.ne.jp
  投稿ありがとうございます。先生のお葬式であったきりでした。是非、マエストロになった稲垣さんに会いたいものです。
ところで、奥様とはあれからお話をしましたが、これから暮れについては具体的な日程の相談をいたします。といっても、お昼ごろに軽くご挨拶に行き、可能であればあっちゃんに会って、近況をお伺いしたいと思っております。
また、連絡いたします。それから、門下生の皆さんが、この貴重な先生のホームページを見ていただければと思います。では、また。
 

お久しぶりです

 投稿者:稲垣宏樹  投稿日:2006年11月16日(木)14時53分6秒 plum.aitai.ne.jp
  31期の稲垣宏豊です。たった今、このHPを見つけ、書き込みをしております。私は稲垣宏樹と改名しており、名古屋音楽大学の作曲科教員としてして籍を置きつつ指揮・作曲活動をしております。関西にはバレエ公演の指揮のために大阪シンフォニカーさんやオペ管さんとご一緒させていただくことがあります。ホルン科を卒業した翌月に同じ京芸の作曲・指揮科に再入学をしたことを契機にホルンから徐々に離れてしまいました。バレエの仕事をしていることもあって、最近はピアノ以外の楽器をいじることは無くなりましたが、真下先生から教わった音楽をするにあたっての職人としての重要性は、専攻を超えて現在の私の基盤になっています。私が卒業する年の3月に先生は急逝されてしまわれました。20年経った今でも、あの悲しいお葬式を私は未だに忘れられません。お墓参りに伺いたいのですが、所在地をお知らせくださいますと有難く存じます。
 私の連絡先が不明となっておりましたので、取り急ぎ近況をご報告させていただきます。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~concertskotaki/

 

それはおめでたい!

 投稿者:Dirigentメール  投稿日:2006年11月 6日(月)00時00分43秒 pdd9883.kyotac00.ap.so-net.ne.jp
   敦っちゃんおめでとう御座います。辻先輩とは年に数回会う機会がありますので、昨年復活した忘年会を提案しまsたが、事がそうなると3月もいい案ですね。辻先輩のご意見に賛成します。日程調整をしましょう。出来れば昨年以上の人数を集めて会いたいですね。
 年末、私も辻先輩とお伴して泉ヶ丘へ行きたいです!!
 

お久しぶりです

 投稿者:辻 浩二メール  投稿日:2006年11月 5日(日)23時38分9秒 hccd37ddfd0.bai.ne.jp
  大変ご無沙汰しております。真下門下生の皆さんお元気ですか?
市音の辻は元気で仕事に追われております。
11月2日の市音定期演奏会でDirigentさんに会い、昨年の真下門下の集まりの話をしていましたが、お約束の先生のライブCD制作に着手しておらず、大変つらい思いをしました。
それで、やはり今年もこの集まりをと思い、電話をしたところ、奥様がたまたまご旅行で不在でした。そこで、敦子さんに電話をしたところ、なんと敦子さんがご懐妊とのこと。
しかも、8ヶ月だというではないか!小生大変うれしくなってしましました。
ということで、あけて1月がご出産予定。そうなると、この12月の年末は何かと大変かと思います。一応、奥様には連絡いたしますが、敦子さんとの話の中で、来年3月が先生が亡くなられて20年ですので、3月に集まるということも可能かと思います。
ということで、近日中にまたここにご報告いたします。
私としては、年末は少しだけ軽く奥様のお顔を拝見しに伺いたいと思っているところです。
では、次回の報告まで、失礼します。
 

ありがとうございました

 投稿者:小笠原和彦  投稿日:2006年 1月 2日(月)14時27分41秒 fl220-100-201-161.i-chubu.ne.jp
   明けましておめでとうございます。先日は家族で押しかけ、皆様にご迷惑をかけたと思いましが、20数年ぶりにお会いする方ばかりで、大変楽しいひと時を過ごすことが出来ました。ありがとうございました。
 つたないものですが、当日撮影した写真を下記アドレスで公開しておりますので、ご覧下さい。
           http://photos.yahoo.co.jp/kzogasa
 

謹賀新年

 投稿者:辻 浩二メール  投稿日:2006年 1月 1日(日)18時19分55秒 hcc3d73da15.bai.ne.jp
  明けましておめでとうございます。
先日の19年ぶり、真下邸忘年会に皆様お集まりいただき、本当にありがとうございました。
子供さん3人奥様とともに駆けつけてくれた、柏原君。息子さんそしてご主人を伴っていろいろとお世話いただいた脇坂さん。ホームページから今回の集まりまでの準備をしてくれた葛城君。遠くは、岐阜高山から、お子さん2人と奥様4人で来られた小笠原君。そして、小林君、寒川君、村上君。九州は福岡から奥様と2人で来られた清水君。本当にご苦労様でした。
そして、何よりも、奥様と新婚の敦子さんご夫婦(山手さん)、新鮮なお魚をご提供いただいた太郎さんに心から感謝申し上げます。
お昼1時から6時までの時間でしたが、あっという間でした。
その中で、私から提案させていただいたのですが、先生が生前残された島根大学での公開コンサートのテープを、CD化しようと思います。出来るだけ、お金をかけずにいい音で再現したいと思っております。ただ、ブックレットの内容はどうするかこれから考えますが、このホームページを利用させていただいて、案を募りたいと思います。
他にも何かアイデアがあれば是非、投稿お願い致します。
また、連絡いたしますのでよろしくお願い致します。
今回、参加できなかった方も今年の忘年会の予定をしておいてください。奥様からは来年の集まりの承諾を得ております。
では、またよろしくお願い致します。
 

そしてまた歴史は作られます。

 投稿者:Dirigentメール  投稿日:2005年12月31日(土)19時52分3秒 p29fd04.kyotac00.ap.so-net.ne.jp
   真下惇至門下生の集いが終わりました。奥様、敦ちゃん、太郎さん、山手さんありがとうございました。それもこれも辻さんが幹事をしていただけなければ実現しないものでした。辻さんありがとうございました。
 阪急長岡京市駅を下りてバスもタクシーもなかったので30年ぶりに先生のお宅がある泉ヶ丘まで歩くことにしました。文化会館までも車で行くことが多く、ましては花山住宅あたりへは歩いて行くこともありません。辺りはまったく変わっており、道が広くなっていたり、新しい家が数多く建っていました。高校生の時に泉ヶ丘へ右折する目印だった「かつらぎガス」があったのでホッとしましたが、その辺りも変わっていてびっくりしました。曲がったら山の麓の泉ヶ丘が見えたのにNTTのビルがあったり、田んぼがなくなって住宅街になっているので2差路を左折して橋の所までこないと昔の記憶の中にある先生宅周辺は出てきませんでした。
 実はこの真下惇至資料館を作る際、年賀のご挨拶もご無沙汰していた私は車で一度来たことがあります。夜でしたので昨日見た風景は想像できませんでした。その時は連絡がつかず心配になってお宅があるかどうかを確かめに行かせて頂いたのですが、その後奥様と連絡を取り合ってこのサイトを作ることが出来たのです。

 楽しいひとときでした。みんなそう思っていたのだと思います。先生のレッスン室に入ると昔と同じ臭いがして懐かしかったです。何もかもホルンに関しての出発点であった泉ヶ丘にこれだけのメンバーが集まったのが嬉しかったです。
 先生はまさに職人気質の人でした。しかしホルン名人でホルンによる音楽の表現技術よりも何よりも、今になってこうしてみんなが再会することを導いて頂いたことを考えると、「心を伝える名人」だったのではないでしょうか?それは「真下惇至」という起点から「心」が発せられているので、みんなが時間を経った今になって、その「心」を辿っていったら泉ヶ丘に辿り着いた…という気がしてならないのです。
 最初から私には「葛城くん、昔を思い出して歩いてウチに来てよ」と仰っているかのごとく、バスもタクシーもなかったと思えばすべてが納得できます。帰りも、小林君、寒ちゃん、村上くんと歩いて駅に行き、いろんな代の先生のことを話し合いましたが、「葛城くん、帰りも歩いてみんなの話を聞いてよ」ということで納得できます。
 私はあと1年で先生がお亡くなりになった歳になります。辻さんも仰っていましたが、「その時までに何をしたのか?」とこの頃いつも考えます。私は教職に就き、先生の教えを直接活かすことが出来ない立場になってしまいました。しかし、私のもとにも生徒がおり、その事を考えると少しはお役に立てるのではないか?。それなら、辻さん、柏さん、ノノさん、オカぽん、山田くん、村上くんと日本のオーケストラの第一線で活躍している奏者の方々の生の音楽を聴いてもらえるお客さんを我々教職に就いた弟子が育てよう…そんな話を最後まで帰りが一緒だった寒ちゃんと話をしていました。忙しいけれど、残念ながら我々も先の事を考えるとそう時間はありません。早速、年明けの部活に話をしてみようと思います。

 みなさん、お身体に気をつけられて、また来年もお会いできることを楽しみにしています。
 

真下邸忘年会によせてもらいました

 投稿者:kyoto-higashiメール  投稿日:2005年12月31日(土)00時01分34秒 pfa74cb.onenum04.ap.so-net.ne.jp
  とても楽しいひとときでした。辻さんおつかれさまでした。先生の奥様、大変お世話になりました。
楽しい話の合間にレッスン室に入ったとき、原点に立ち返った思いがしました。中身の濃いレッスンを思い出しました。

皆さん、どうぞ良い新年をお迎えください。
 

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